lupus
Dummy
腎生検の結果
今日は12時43分まで会社で電話会議をした後、
1時半の診察に間に合うべく
急いでCedars Cinai病院に向かった。
病院の駐車場は料金がバカ高なので
すぐ隣にあるビバリーセンターに駐車した。
そうしたら車を降りるなり、
口げんかの大きい声が聞こえて
見ると、老夫婦でした。
おじいさんのほうが私によってきて
「Cedars Cinai病院の駐車場はどこか?」と聞くのです。
どうやら病院の駐車場を見つけられずに
ビバリーセンターに駐車してしまっただんなさんを
奥さんがなじっているところでした。
どこの建物に行くのか聞くと紙袋を取り出して
「ここの住所に行きたいんだけど。」と始まった。
見てみると私と同じ建物。
でも奥さんは「私は膝の手術をしたんだから
近くの駐車場じゃないと。」という奥さんに対し、
だんなさんは「でもお医者さんは歩く練習が必要だっていっただろ。」
とまたケンカが始まった。
私は自分の診察時間ぎりぎりで
申し訳ないけどつきあっている暇はなかったので
途中で分かれてしまいました。
無事たどり着けたかな?
私はあの年まであんなに元気でいられるかしら?
病院では先生に腎生検の結果を改めて聞いた。
私のループス腎炎は
クラス4「びまん性増殖性腎炎(diffuse proliferative nephritis)」
な上に、「Crescentsがあるのでさらにクラス4の中でも
さらにアグレッシブな部類」に入るのだそうで、
またこれを聞いて悲しくなりました。
しかし、「Crescents」って何?
先生に聞いたら私の検査写真の中の
半月型の部分を見せて「これだよ。」と教えてくれました。
調べてみたら「Crescent Formation」、
日本語では「半月体形成」の意味のようです。
半月体形成性腎炎/尿と病気によると...
半月体形成性腎炎は、糸球体ボーマン腔に付着増殖する細胞成分や
線維成分が(生検で確認される形が)丁度、
半月の様に見えるところから、命名されている疾患です。
症候は腎炎の中で、最も重篤な経過を辿る
急速進行性糸球体腎炎症候群を呈する事が多い、問題の疾患です。
この急速進行性腎炎症候群は全てに半月体を認めるわけではありませんが、
半月体形成性腎炎と急速進行性糸球体腎炎は
しばしば混同して用いられている場合があります。
半月体形成性腎炎は管外性増殖性腎炎、
壊死性半月体形成性腎炎とも呼ばれております。
一般的に、腎生検でボーマン腔に認められる半月体が
50%以上あれば半月体形成性腎炎と診断されております。
半月体形成性腎炎は予後不良であり、
自然経過(改善のために免疫抑制療法があります)では
発症1年以内に殆んどのケースで腎機能が廃絶してしまい、
透析、腎移植を実施しなければ死亡します。
成性腎炎は治療を遅延させてしまうと、
腎不全の進行を抑制する事が困難になります。
極力の早期発見し、腎機能の低下が軽度な段階で
治療にかかることにより、腎機能の改善が期待できるとされております。
ANCA関連腎炎を早期発見して
早期に治療可能になっている環境下では、
急速進行性糸球体腎炎の治療開始半年後の透析導入率は
1998年の30、3%(死亡率22、5%)から
2002~2005年には21、9%(死亡率14%)と
透析導入率は有意改善し、 死亡率は有意とまでは言えないが
改善傾向を確認できると報告されております。
その他改善の理由として免疫抑制療法の改良があげられております。
う~ん、読まなきゃ良かったかも。
先生に
「ループス腎炎になって、一度症状が寛解した後
2度目のフレアアップが起こらなかった患者さんが
これまでいましたか?」と聞いたのですが
「いない。」と言われました。
一度ここで症状が改善して落ち着いても
しばらくするとまたフレアアップが起こり、
起こるたびに治療が難しくなっていくのが常だそうです。
先生曰く、
「フレアアップは起こるたびに悪化するので
ともかくフレアアップを起こすのを避けるのが大事で
そのためにステロイドと同様、おそらくセルセプトも
一生飲み続けていくことになるでしょう。
副作用がでた場合には別の免疫抑制剤に
切り替える場合もあるかもしれませんが。」
思い返してみると最初にSLEと診断されたのは2005年。
当初は間接が痛くなることと
血液検査で抗DNA抗体の値が高く陽性であること程度しか
症状はありませんでした。
プラクニル200mgを飲み続けていましたが
特に自分がSLE患者であるという自覚はありませんでした。
数年後に高熱が3週間くらい続き、
抗生物質を飲んでもちっとも効かず
大量のステロイドを服用したところ
最初の1時間で熱が下がっていくのが実感でき
SLEのフレアアップであることがはっきりしました。
その2年くらい後にまた小さいフレアップがありましたが
しばらくしてまた元どおりに戻ったような感じでした。
これが多分3年くらい前だったかな。
...ということは、2~3年に一度フレアップが起こっていて
確実に症状は悪化しているということなんだと思います。
今になっていろいろリサーチしてみると
これは非常に典型的なSLE患者の経過であり、
「いつの日かSLEがなくなって元気な日がくるかも。」
なんてどこかで思っていたこれまでの私は
完全に甘ちゃんだったという気がします。
でも、もういまさら泣き言を言っても仕方がありません。
後は落ち込むことなく
SLEとつきあっていく覚悟をしなければ。
負けないぞ!!
金曜日は2回目のキモセラピーだ。
にほんブログ村
1時半の診察に間に合うべく
急いでCedars Cinai病院に向かった。
病院の駐車場は料金がバカ高なので
すぐ隣にあるビバリーセンターに駐車した。
そうしたら車を降りるなり、
口げんかの大きい声が聞こえて
見ると、老夫婦でした。
おじいさんのほうが私によってきて
「Cedars Cinai病院の駐車場はどこか?」と聞くのです。
どうやら病院の駐車場を見つけられずに
ビバリーセンターに駐車してしまっただんなさんを
奥さんがなじっているところでした。
どこの建物に行くのか聞くと紙袋を取り出して
「ここの住所に行きたいんだけど。」と始まった。
見てみると私と同じ建物。
でも奥さんは「私は膝の手術をしたんだから
近くの駐車場じゃないと。」という奥さんに対し、
だんなさんは「でもお医者さんは歩く練習が必要だっていっただろ。」
とまたケンカが始まった。
私は自分の診察時間ぎりぎりで
申し訳ないけどつきあっている暇はなかったので
途中で分かれてしまいました。
無事たどり着けたかな?
私はあの年まであんなに元気でいられるかしら?
病院では先生に腎生検の結果を改めて聞いた。
私のループス腎炎は
クラス4「びまん性増殖性腎炎(diffuse proliferative nephritis)」
な上に、「Crescentsがあるのでさらにクラス4の中でも
さらにアグレッシブな部類」に入るのだそうで、
またこれを聞いて悲しくなりました。
しかし、「Crescents」って何?
先生に聞いたら私の検査写真の中の
半月型の部分を見せて「これだよ。」と教えてくれました。
調べてみたら「Crescent Formation」、
日本語では「半月体形成」の意味のようです。
半月体形成性腎炎/尿と病気によると...
半月体形成性腎炎は、糸球体ボーマン腔に付着増殖する細胞成分や
線維成分が(生検で確認される形が)丁度、
半月の様に見えるところから、命名されている疾患です。
症候は腎炎の中で、最も重篤な経過を辿る
急速進行性糸球体腎炎症候群を呈する事が多い、問題の疾患です。
この急速進行性腎炎症候群は全てに半月体を認めるわけではありませんが、
半月体形成性腎炎と急速進行性糸球体腎炎は
しばしば混同して用いられている場合があります。
半月体形成性腎炎は管外性増殖性腎炎、
壊死性半月体形成性腎炎とも呼ばれております。
一般的に、腎生検でボーマン腔に認められる半月体が
50%以上あれば半月体形成性腎炎と診断されております。
半月体形成性腎炎は予後不良であり、
自然経過(改善のために免疫抑制療法があります)では
発症1年以内に殆んどのケースで腎機能が廃絶してしまい、
透析、腎移植を実施しなければ死亡します。
成性腎炎は治療を遅延させてしまうと、
腎不全の進行を抑制する事が困難になります。
極力の早期発見し、腎機能の低下が軽度な段階で
治療にかかることにより、腎機能の改善が期待できるとされております。
ANCA関連腎炎を早期発見して
早期に治療可能になっている環境下では、
急速進行性糸球体腎炎の治療開始半年後の透析導入率は
1998年の30、3%(死亡率22、5%)から
2002~2005年には21、9%(死亡率14%)と
透析導入率は有意改善し、 死亡率は有意とまでは言えないが
改善傾向を確認できると報告されております。
その他改善の理由として免疫抑制療法の改良があげられております。
う~ん、読まなきゃ良かったかも。
先生に
「ループス腎炎になって、一度症状が寛解した後
2度目のフレアアップが起こらなかった患者さんが
これまでいましたか?」と聞いたのですが
「いない。」と言われました。
一度ここで症状が改善して落ち着いても
しばらくするとまたフレアアップが起こり、
起こるたびに治療が難しくなっていくのが常だそうです。
先生曰く、
「フレアアップは起こるたびに悪化するので
ともかくフレアアップを起こすのを避けるのが大事で
そのためにステロイドと同様、おそらくセルセプトも
一生飲み続けていくことになるでしょう。
副作用がでた場合には別の免疫抑制剤に
切り替える場合もあるかもしれませんが。」
思い返してみると最初にSLEと診断されたのは2005年。
当初は間接が痛くなることと
血液検査で抗DNA抗体の値が高く陽性であること程度しか
症状はありませんでした。
プラクニル200mgを飲み続けていましたが
特に自分がSLE患者であるという自覚はありませんでした。
数年後に高熱が3週間くらい続き、
抗生物質を飲んでもちっとも効かず
大量のステロイドを服用したところ
最初の1時間で熱が下がっていくのが実感でき
SLEのフレアアップであることがはっきりしました。
その2年くらい後にまた小さいフレアップがありましたが
しばらくしてまた元どおりに戻ったような感じでした。
これが多分3年くらい前だったかな。
...ということは、2~3年に一度フレアップが起こっていて
確実に症状は悪化しているということなんだと思います。
今になっていろいろリサーチしてみると
これは非常に典型的なSLE患者の経過であり、
「いつの日かSLEがなくなって元気な日がくるかも。」
なんてどこかで思っていたこれまでの私は
完全に甘ちゃんだったという気がします。
でも、もういまさら泣き言を言っても仕方がありません。
後は落ち込むことなく
SLEとつきあっていく覚悟をしなければ。
負けないぞ!!
金曜日は2回目のキモセラピーだ。
にほんブログ村
PR
この記事へのトラックバック
トラックバックURL
カレンダー
フリーエリア
最新記事
(04/09)
(04/01)
(03/27)
(03/16)
(03/14)
最新TB
プロフィール
HN:
Neutrogena
性別:
非公開
職業:
会社員
自己紹介:
2005年に全身性エリテマトーデスと診断を受けて以降の闘病記録。現在フレアアップ中。先日ループス腎炎が発覚し、日々格闘中。
この記事へのコメント